2012年 10月 17日
『廃炉時代 (1)』 道新連載より |
北海道新聞朝刊に連載の記事『廃炉時代』を全文掲載
記事のみ、コメント無し。
廃炉時代
2012.10.16 北海道新聞 朝刊より
記事のみ、コメント無し。
廃炉時代
猛暑が去り、土手のススキが揺れていた。
7日、野田佳彦首相(55)に同行し、東京電力福島第1原発を見た。廃炉作業に入ったとはいえ、2号機の建屋内では半年前、6分足らずで人が死に至る毎時7万3千㍉シーベルトの放射線を記録。事故の生々しさが残る現場だ。
その2号機運転開始に携わり、今は原発の廃炉作業を請け負う「東北エンタープライズ」(福島県いわき市)で会長を務める名嘉幸照(71)に会った。「地元の多くの人を避難させ、不幸にしてしまった。申し訳ない。」と声を絞り出した。
沖縄県出身。原発メーカー、米ゼネラル・エレクトリックに就職し、返還直前の1972年3月に技師として福島第1に赴任、2号機の改良工事や最終点検を担当した。74年7月、2号機は運転を開始、「日本のエネルギー政策を支える」ことに誇りを持った。80年、若い人材を育てるため、今の会社を作った。
そして、運転開始から37年、2号機は1、3号機と同様、炉心溶融を起こし、放射性物質を広範囲に放出した。「自分の仕事がこんな結果になるとは…」名嘉は今、7人の作業員を原発に送り、安全を祈る日々だ。
商業炉は未経験
日本では商業原発が稼働してから46年。原発はいずれ寿命が来て廃炉になる」と、創生期にかかわった名嘉もみていた。
しかし、日本で廃炉が済んだのは、茨城県東海村の日本原子力研究所動力試験炉(JPDR)だけで、規模の大きな商業炉の経験は一基もない。そんな中、突然、過酷事故に伴う廃炉作業に直面する。
同じように原発の仕事を請け負う「エイブル」(広野町)で働く作業員のリーダー及川和彦(42)も、廃炉の困難さを感じていた。
事故直後から汚染水をくみ出すホースの設置作業などを続けた。昨年末、9ヶ月間の被ばく量が「5年間で100㍉シーベルト」という原発作業員の基準に迫り、やむなく現場を離れ、後方支援に回った。
福島第1で働いて13年。及川は「自分には現場を沈静化させる責任がある。まだまだ先頭に立って仕事をしたかった」と唇をかむ。
東電によると、事故後1年で作業員167人の被ばく量が基準を超えた。8月末で作業員の累計が2万4千人にも及ぶのは、被ばくが激しく人海戦術を余儀なくされるからだ。
人員確保難しく
「廃炉に向けた取り組みにいっそうのご努力をお願いしたい」。野田首相は視察の日、事故対応の拠点となった免震重要棟で約200人の東電社員に対して訓示した。
政府は「2030年代の原発ゼロ」を掲げた。目標通りなら、40年かかるとされる福島第1と平行し、北海道電力泊原発1~3号機(後志管内泊村)など50基の廃炉も順次進む。事故原発でなくても、原子炉解体などは高い放射能との戦いだ。
ただ、1基あたり年間数百人、全体で数万人規模に上る人材をどう確保するかなど、具体的な道筋を描けているわけではない。
「負の遺産をうむ原発はもう造るべきではない。これからは、安全に原発を廃炉にする時代に移っていく」。そう考える名嘉は、故郷の沖縄に帰る夢をあきらめ、自ら育てたプラントを「みとる」作業に余生をささげるつもりだ。しかしその道のりは見通せない。
費用膨大 長い道のり
原発の廃炉は長い道のりだ。東京電力福島第1原発1~4号機の廃炉作業は、原子炉内で溶けた危険な核燃料の取り出しなど、未知の作業が待つ。事故原発でなくても、廃炉完了には20~30年程度かかるとされる。
政府は福島第1原発の廃炉について、1979年に炉心溶融事故を起こした米スリーマイル島原発の工程を参考に進める方針だ。ただ、溶けた燃料が原子炉圧力容器に残ったスリーマイルと異なり、福島では圧力容器の底を突き抜け、格納容器内に落ちた。作業の難易度は格段に高い。
政府の工程表によると、来年内に4号機の格納容器外側にある燃料プールの使用済み核燃料の取り出しに着手。1~3号機を含む使用済み燃料の取り出し、原子炉建屋の除染は2021年末までに終える目標だ。圧力容器内で溶けた燃料の取り出し、原子炉解体など全行程の終了まで40年程度を見込んでいる。
特に放射線量が高い原子炉建屋で行う除染や燃料取り出しは、遠隔操作技術の開発が必要。うまくいかなければ、86年に爆発事故を起こしたチェルノブイリ原発と同様、コンクリートなどで施設全体を閉じこめる「石棺」と呼ばれる作業を迫られる可能性もある。
一方、一般の原発の解体は①発電用タービン②原子炉周辺設備③原子炉本体と、放射能の低いエリアから段階的に行う。コストは一基あたり数百億円。
試験炉を除き、福島第1以外で廃炉工程に入ったのは、01年の日本原電東海原発(茨城県)、08年の日本原子力研究開発機構原型炉「ふげん」(福井県)、09年の中部電力浜岡原発1、2号機(静岡県)の計4基。いずれもまだ原子炉解体前の段階だ。
「40年ルール」矛盾も
東京電力福島第1原発事故を踏まえ、原子力規制委員会は原発を運転40年で原則廃炉にするルールを来年7月までに決定する。革新的エネルギー・環境戦略に掲げた「2030年代の原発ゼロ」の実現へ、廃炉の一部前倒しも視野に入れる。ただ、実際に廃炉がどう進むかは流動的だ。
原発の中心部、原子炉圧力容器内は核分裂によって中性子を浴び、金属がもろくなる。この老朽度合いを運転30年目以降、10年ごとに診断。実際に廃炉にするかどうかは電力会社が長期運転する際のコストなどを判断し、決めていた。
40年ルールは、運転免許を40年とした米国の制度にならった。厳格に運用すれば、国内50基中、20年までに14基、30年までに32基が廃炉となる。
ただ、安全基準を満たせば、最長20年の運転延長を認める例外規定もある。規制委の田中俊一委員長は「40年超の原発は運転させない姿勢で臨む」とする一方、ルールを「機械的には適用しない」とも発言している。
「30年代の原発ゼロ」の実現には、09年に運転を始めた北海道電力泊原発3号機(後志管内泊村)など、既設の5基で廃炉の前倒しが必要。そのためには代替電源となる再生可能エネルギーの普及加速もポイントとなる。
政府は電源開発大間原発(青森県)、中国電力島根原発3号機(島根)の建設再開を容認。これらが稼働すれば、40年ルールの下での原発ゼロは50年代になり、矛盾をはらんでいる。
2012.10.16 北海道新聞 朝刊より
by aya-saita
| 2012-10-17 00:00
| 震災がれきと原発
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