2012年 07月 22日
「デモに見る路上の民主主義」 |
北海道新聞 2012.7.22 朝刊 異聞風聞 より全文掲載 筆者 編修委員 大西隆雄
私が官邸前のデモの存在を知ったのは、京大小出さんの函館での講演会の日だから6月23日。
前日の22日(金)の夕方から主催者発表で4万人のデモがあったのですが、23日の新聞およびテレビではほとんど報道されませんでした。
翌週の29日には主催者発表で20万人、警察発表で1万4千人のデモがやはり官邸前でありました。
この時は、各紙、さらっと触れただけ。こんな事がありましたよ、みたいな感じで。
(それは北海道新聞も同じでした。)
それでも、NHKでは一切報道無し。
この国のマスコミが機能していないのは多少わかっていたつもりですが・・・
記事中の瀬戸内寂聴さんの言葉。
「・・・(前略)言い分があれば、言葉に出し、体で表現していいんです。
たとえ相手が聞かなくても言い続けましょう」(下線はブログ筆者による)
聞いていない相手に言い続ける事ほどしんどいことはないのですが、我々にはそういう方法しか無いのかもしれません。
大工・地域住民 齊田綾
首相官邸の主が最も恐れるのは党内の造反でも、野党の攻勢でもない。原発再稼働に抗し、日増しに高まる国民の声だ。
東京・代々木公園で開かれた16日の「さようなら原発10万人集会」。17万人(主催者発表)の群衆の中に身を置き、デモの列にも加わって、そう感じた。
もっと民主主義を!そんな思いに駆られて一人一人が東京から、福島から、北海道から…全国からやってきた。
「デモのない社会」とされた日本で、60年安保闘争依頼という抗議行動が起きているのはなぜか。主役はかつての組合や学生から、ごく普通の市民に代わった。人々は集会やデモで自らが主権者であることを確認し、社会を変えようとしている。
◆ ◆
「これ100円ショップで買ってきたんです」。デモで隣を歩く女性から声を掛けられた。見ると造花のアジサイ。ブルーや薄紫。そう言えば、中東民主化の「ジャスミン革命」に倣って、日本の抗議行動を「あじさい革命」と呼ぶのだそうだ。
ギターを手にした中年男性が米国の反戦フォーク歌手ジョーン・バエズの曲をつまびくと、「再稼働はんたあーい」のシュプレヒコールに交じって歌声が周りに広がった。組合の旗もあるが、子の手を引く若い母親や家族連れ、若者が目立つ。車椅子の老人も。手作りのプラカードや小旗を掲げて沿道の人達に脱原発を訴える。
炎天下の都心を行進。流れる汗をぬぐう。塩分補給にと見知らぬ女性から塩あめを差し出され、ありがたく頂戴した。
コース沿いの小公園で、子ども達と母親のグループが木登りや水遊びの真っ最中だ。デモの行列に手を振るのを見て、外遊びの自由を奪われた福島の子供たちを思い、胸が痛んだ。
集会では道内から駆け付けた人たちの顔も。「脱原発をめざす北電株主の会」メンバーで、札幌市の小林善樹さん(78)は「すごい人の数。大飯原発が再稼働しても諦めない世論を感じた」という。「反原発 岩内原発問題研究会」の旗ざおを持っていたのは後志管内岩内町議の佐藤英行さん(62)だ。
あちこちで「やあしばらく」と声を掛け合う姿があった。
でもは「動く集会」であり、「社交」の場でもある。そこには直接的な民主主義があり、市民社会に不可欠な要素だ-評論家の柄谷行人氏の指摘を思い出した(「政治と思想」)。
呼び掛け人の一人、作家の瀬戸内寂聴sん(90)が言った。「私たちは税金を払っている国民。言い分があれば、言葉に出し、体で表現していいんです。たとえ相手が聞かなくても言い続けましょう」
◆ ◆
「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」の作家、大江健三郎さん(77)は約750万人分の署名の一部を首相官邸に届けた翌日、あざけるように政権が原発再稼働を決めたと言った。「私らは政府に侮辱されている。そんな政府のもくろみを打ち倒さなければならない」
2人の言葉は抗議行動の意味や市民の思いを凝縮している。
この国は民主主義国ではなかったのか。集会やデモに参加する人は国民のほんの一部でも、背後にはその何倍、何十倍もの民意がある。それを直接行動で示すことに意義がある。
戦後を代表する政治学者の丸山真男(1914~96年)は、「議会政治をきずくには」と題した小論で、国民による政治参加の手段としてデモの役割の重要さを説いた(60年)。
「あらゆる権力は国民が監視している姿勢をくずしたら、必ず腐敗します」-議会の外にある社会の力で議会を突き上げ、国会の中と外の風通しをよくしろと主張した。平和的な市民集会やデモによって主権者たる国民が言葉を発し、行動することは民主主義の原点なのである。 2012.7.22
私が官邸前のデモの存在を知ったのは、京大小出さんの函館での講演会の日だから6月23日。
前日の22日(金)の夕方から主催者発表で4万人のデモがあったのですが、23日の新聞およびテレビではほとんど報道されませんでした。
翌週の29日には主催者発表で20万人、警察発表で1万4千人のデモがやはり官邸前でありました。
この時は、各紙、さらっと触れただけ。こんな事がありましたよ、みたいな感じで。
(それは北海道新聞も同じでした。)
それでも、NHKでは一切報道無し。
この国のマスコミが機能していないのは多少わかっていたつもりですが・・・
記事中の瀬戸内寂聴さんの言葉。
「・・・(前略)言い分があれば、言葉に出し、体で表現していいんです。
たとえ相手が聞かなくても言い続けましょう」(下線はブログ筆者による)
聞いていない相手に言い続ける事ほどしんどいことはないのですが、我々にはそういう方法しか無いのかもしれません。
大工・地域住民 齊田綾
by aya-saita
| 2012-07-22 22:26
| 震災がれきと原発
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