2011年 12月 06日
裸の美しさ |
一軒の家を建てていく過程で、「いいなぁ」とおもう時が三度あります。
一番最初は棟上げの時。
この時は、苦労して墨付けをして、刻んだ材料が無事に組上がった安堵感が大きいのでしょう。
いいなぁ、というよりも、よかったぁ、という感じです。
最後は完成して引き渡したとき。
この時は工事が無事に終わったという気持ちと、この場所はもう自分のモノではないんだ、という少し寂しいような感じ。
で、2度目が、屋根が形になってまだ骨組みがあらわになっている今です。
作っている過程でほんの少しの期間しか見る事のできない、裸の木組み。
屋根が掛かって全体のプロポーションが決まり、なおかつ、木組みが一番綺麗に見えます。
住むための住宅としては電気や水道どころか壁さえも無い、不十分なモノですが、建物としては十分に成立しています。
人間で言えば、裸の体です。
これから、人間の暮らしの器としての家になるために、服を着て(壁や床を張り)、化粧をし(仕上げ)、時計や鞄を持って(設備工事)、世の中に出て行きます。
大工 齊田綾
一番最初は棟上げの時。
この時は、苦労して墨付けをして、刻んだ材料が無事に組上がった安堵感が大きいのでしょう。
いいなぁ、というよりも、よかったぁ、という感じです。
最後は完成して引き渡したとき。
この時は工事が無事に終わったという気持ちと、この場所はもう自分のモノではないんだ、という少し寂しいような感じ。
で、2度目が、屋根が形になってまだ骨組みがあらわになっている今です。
作っている過程でほんの少しの期間しか見る事のできない、裸の木組み。
屋根が掛かって全体のプロポーションが決まり、なおかつ、木組みが一番綺麗に見えます。
住むための住宅としては電気や水道どころか壁さえも無い、不十分なモノですが、建物としては十分に成立しています。
人間で言えば、裸の体です。
これから、人間の暮らしの器としての家になるために、服を着て(壁や床を張り)、化粧をし(仕上げ)、時計や鞄を持って(設備工事)、世の中に出て行きます。
大工 齊田綾
by aya-saita
| 2011-12-06 19:50
| 大沼 三月の羊
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